Kit Nagamura/Sarah Nishinaジャーナリスト、ライター/ツアーガイド、コンサルタント
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さまざまな背景をもった方に、越前市の風土を感じてもらう旅。今回越前市をめぐるのは、アメリカ出身のキット・パンコースト・ナガムラ(Kit Pancoast Nagamura)さんとオーストラリア出身のサラ・ニシナ(Sarah Nishina)さん。来日して30年ほど経つキットさんとサラさんは、ライター・ジャーナリストとして日本中を訪れ、各地の風土やものづくりの魅力を取材しています。
左/キット・パンコースト・ナガムラ(Kit Pancoast Nagamura)さん
右/サラ・ニシナ(Sarah Nishina)さん
キットさんは1991年から東京に住み、ジャーナリストやライターとして活躍。Japan Timesには2008年から「The Backstreet Stories」というコラムを寄稿しています。サラさんも成人後は日本で生活。ライターやツアーガイド、コンサルタントなどさまざまな顔を持ち、日本文化に精通しています。福井県には過去に訪れたことがあるというお二人ですが、越前市を訪問するのは初めて。今回はお二人の取材旅の様子に密着します。
最初にやってきたのは、大正時代の建物が数多く残る越前市の中心市街地、京町1丁目。石畳が延びる「寺町通り」に”越前そば発祥”の老舗「うるしや」があります。
うるしやの創業は江戸時代後期。店の名前の通り、かつては漆の販売を生業とし、1861年に蕎麦屋に生まれ変わりました。漆の商家だった名残か、店の柱や梁などには漆が塗られ、坪庭や調度品など、かつての姿が忠実に守られています。
うるしやの歴史のなかでも、最も有名なエピソードが昭和22(1947)年、昭和天皇が武生に行幸された時のこと。昭和天皇はこのおろしそばを大変喜び、宮中に戻ってからも「あの越前のそばは・・・」と懐かしがったそう。ここから「越前そば」の呼び名が広まったといわれています。そばは抹茶が練り込まれた茶そばで、大根の搾り汁と醤油を混ぜたつゆにつけて食べる形式。当時のことをよく知る人物の話や数少ない文献をもとに再現したおろしそばは、「名代(なだい)おろし蕎麦」として提供しています。
「うるしや」ではそばをコースに盛り込んだ会席料理も人気。
前菜が美しく盛り付けられた六瓢箱が登場し、キットさんとサラさんから歓声があがります。
これまで全国各地でそばを食べたキットさんですが、辛味大根のパンチのある味には驚いたそう。
今回、食事をいただいたのは、昭和天皇が食事をされたという個室。
「昭和天皇ゆかりのある場所で日本のソウルフードをいただくのはとても貴重なエクスペリエンス!」とサラさんも興奮の様子。
そばや鯖寿司、天ぷらなど、会席料理の数々を堪能したところで、次の目的地に向かいます。
JR武生駅から歩くことおよそ10分。
次に訪れたのは、古くから寺が多い武生のまちなかでも一際存在感を放つ「御堂 陽願寺」です。
陽願寺は室町時代に創建した、「御堂」「御坊」とも称される格の高い寺院。境内に設けられた御殿や対面所などは、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺の御門主を迎え入れるために建てられたもの。厳かな空間に足を踏み入れると、凛とした空気が流れます。
さらに境内の南側に広がる230坪の「御殿庭園」は、思わずため息が出るほどの美しさ。御殿から眺めるとパノラマのような開放感があり、サツキ、ツツジ、紅葉など美しく整えられた植栽は時間を忘れていつまでも眺めていたくなります。
二人を案内してくださったのは、住職の藤枝聖さん。
まちなかにありながらも、これまで檀家しか訪れることのなかった陽願寺をより開かれた場所にしようと、特別拝観や寺カフェ、コンサートなど、さまざまな催し物を企画しています。
住職の案内で、御殿庭園のさらに奥へ。今度は和の趣が一変し、レトロな応接空間に。
こちらは十四代の住職が明治15年から8年間留学していたフランス・パリ大学の講堂の一室を再現したもの。漆喰塗りの天井や、今では珍しい陶器製の照明など、まるでタイムスリップしたかのような空間です。
庭園を眺めながら、お抹茶と陽願寺のテーマカラーをモチーフにしたお菓子をいただくひととき。住職との話は尽きず、時間が許すまで二人の熱心なインタビューが続いていました。
陽願寺をあとにし、次にやってきたのは老舗の刃物店「キリン刃物」。
店の前に掲げられた、印象的なキリンのマークが目印です。
明治5年に創業して、現在まで5代にわたり続くキリン刃物。創業当時のことを店主の飯田保孝さんはこのように語ります。
「当時、自分たちの作った鎌には職人が刻印を入れていました。そのほとんどが動物の刻印で。職人の中にたまたま中国の架空の動物としてキリンを打った人がいたことから、商標登録をしました。キリンといえばビールが有名ですが、当時は業種が違えば使うことが可能でした。だから今も刃物にはキリンのマークを付けています」
越前市が誇る伝統的工芸品の一つ、越前打刃物は南北朝時代に京都の刀匠・千代鶴国安によってもたらされましたが、飯田さんいわく、越前市が刃物の産地になった理由は3つあるそうです。
「1つめは白山水系の日野川の水のおかげで鍛冶に必要な水源を確保できたこと、2つめは熱に強い鉄分豊富な土があったこと、そして3つめが炭の原料となる木材が豊富だったことが理由なんです」
キリン刃物の作業場で目を引くのが、壁一面の大きな絵があります。この絵は70年近く前に地元の小学生がキリン刃物の作業場を描いたもの。
「このあたり一帯、鍛冶屋町でした。当時あった川や、松並木も描かれていますね。昔は近くのお寺の鐘が朝2時になると鳴り、それが鍛冶屋たちの起床の合図になっていたんですよ」
作業場の奥にある、刃物を保存するための蔵も見せてもらいました。刃物は金属でできているため、分子を安定させるには刃物を寝かす時間が必要なのだそう。
今も活躍している年季が入った道具は、キリン刃物の歴史の証。越前打刃物の背景を知り、キットさんとサラさんはさらにこの地への理解を深めました。
キリン刃物から3分ほど歩くと、次の目的地が見えてきました。
到着したのは越前箪笥の老舗、小柳箪笥店が2014年にオープンしたアトリエ「kicoru」。
伝統的な指物技術を使い、オーダーメイドの家具やデザイナーとコラボしたスピーカーなど、さまざまな作品を展示・販売しています。
もともと家具を作る職人は「指物師」と呼ばれており、「物指し」を用いて細工し、ホゾや継ぎ手によって材を組むことを「指す」と呼ぶことが語源になっているそう。
明治中期頃には本格的な箪笥職人が活躍。今も越前市にはタンス町通りがあり、建具商や家具屋が建ち並びます。
「越前箪笥は木と木を組む独自の指物技術とのほかに、打刃物の技術を活かした金具の加工、木を保護し箪笥を丈夫にする漆塗りなど、越前の3つの技術が合わさってできているんです」と教えてくれたのは、小柳箪笥4代目の小柳範和さん。
越前箪笥は、越前市を中心とした半径10km圏内に越前打刃物や越前漆器などさまざまなものづくりの産地が集まる場所こそ生まれた伝統工芸であることがわかります。
なかでも金具で見られるハートマークのような模様は、「猪目(いのめ)」と呼ばれる越前箪笥の特徴の一つ。火除けの意味が込められ、法隆寺の門をはじめとする神社仏閣にも使われていたのだとか。これらの金具は手作業でやすりをかけ、整えていきます。
鍵が開くと独特の音が鳴る金具も、昔から伝わる仕掛け。
キットさんもサラさんも興味深く観察しています。
ほかにもからくり箪笥の仕組みをインタビューしたり、実際にカンナがけを体験したりなど、充実した取材となりました。
1日目の取材もひと段落。夜は越前のグルメを味わうため、白壁の蔵が建ち並ぶ通称「蔵の辻(くらのつじ)」エリアにやってきました。到着したのは「日本料理 しくら」。お目当ては越前の冬の王者とも言われる「越前がに料理」です。
「越前がに」とは福井県の港で水揚げされる雄のズワイガニのこと。福井沿岸の日本海には暖流と寒流がぶつかる漁場が多く、餌となるプランクトンが豊富なため、カニも大きく旨味の詰まった肉質に育ちます。
漁の解禁日は毎年11月6日。翌年3月20日までの漁期が終わるまで、コース料理は越前がに一色に入れ替わります。
店主が運んできたゆでがにの大きさに「WOW!」と驚くお二人。
しっとりとした食べごたえのある身と濃厚な味噌に舌鼓を打ちます。
「せいこがに」と呼ばれるメスのズワイガニも地元では人気。こちらの漁期は12月末までと越前がにより短く、内子と外子と呼ばれる卵が絶品です。
そして極め付けは、かにの甲羅に日本酒を注いでいただく「甲羅酒」。
かにの旨味と日本酒の芳醇な香りに、お酒がどんどん進みます。
今日の旅を振り返りながらいただく美味しい食事に美味しいお酒。
こうして越前の夜は更けていくのでした。
取材旅も2日目。この日は越前和紙の産地・今立地区に移動し、取材を進めていきます。やってきたのは「やなせ和紙」。”流し漉き”という技法を用いて、無地や模様をつけた「襖紙(ふすまがみ)」を中心に漉いています。
キットさんとサラさんが体験したのは、越前和紙の伝統技法の一つ、「引っ掛け」。A3程度の和紙を漉き、専用の金型に和紙の原料を"ひっかけ"て模様をつくる、戦後編み出された越前和紙固有の技法です。
「紙漉きは何回かやったことがあるのよ」とキットさん。さすが、慣れた手つきで美しい模様が浮かび上がりました。和紙を乾燥させている間、やなせ和紙の2代目柳瀬晴夫さんに、越前和紙の魅力を伺っていきます。
「越前和紙は昔からできるだけお客様の要望に応えてきた産地。うちもハガキサイズから二人がかりで漉く襖紙まで、やったことがない模様やできるかわからない要望もお受けしてきました。まずはやってみる精神で経験を糧にし、技術やノウハウを培ってきたんです」
晴夫さんとともに家業を手伝っているのが、3代目の翔さん。
福井高専卒業後に家業に入り、後継として晴夫さんの技術を受け継いでいます。
「最初は両親が難なくこなしている仕事の難しさを感じましたが、今はだいぶ自然に動けるようになってきました。男手は父と僕の二人。本業のふすま紙以外にも新たな和紙の可能性も広げようと、和紙の箱など商品開発も進めています」
息子のことを思う父と、父の背中を追いかける息子。
親子の温かい関係性に、キットさんもサラさんも思わず笑顔になっていました。
最後に訪れたのは、同じく今立地区にある岩野平三郎製紙所。1865年に創業した、手漉き和紙としては日本でも最大規模を誇る工房です。
代表する「雲肌麻紙(くもはだまし)」は、初代岩野平三郎が一度は廃れた麻紙を研究の末、1926年に復興させた画期的な和紙です。
当時、主に絵絹に描かれていた日本画でしたが絵具を重ね塗り出来る強靭な雲肌麻紙の登場は、日本画壇に革命を起こしました。横山大観氏や平山郁夫氏など数々の芸術家にも愛され、法隆寺金堂壁画復元や唐招提寺の襖絵など日本を代表する文化財にも使用されています。
品質の高い和紙を漉く前に欠かせないのが、「選り(より)」の作業。
女性スタッフたちが、真冬でも冷たい水に手を入れ、一つひとつのちりをとっていきます。
目を凝らしてみないとわからないほど、わずかなちり。目と手触りだけでより分けていく作業は長年の経験のたまものです。
岩野平三郎製紙所の特徴は、大紙を漉く技術。二人一組、大紙なら四人もしくは六人一組で漉くことも。一つひとつの動作を息を合わせながら行う様子は思わず息を呑みます。
何度か漉き重ねた和紙は、ジャッキに載せて圧搾(あっさく)。その後、漉き重ねた紙を一枚、一枚はがし、板に張り付けて暖かい部屋で室乾燥(むろかんそう)にかけていきます。
手漉きの和紙を貼り付けるのは銀杏の板。節が少なくなめらかな手触りなので、ふんわりと美しい模様に浮かび上がるそう。
手漉きの繊細さを持ちながら、ダイナミックなスケールで作られていく岩野平三郎製紙所の和紙。知的好奇心がくすぐられ興味がつきないキットさんとサラさんは、職人の方と話に花が咲いていました。
越前のものづくりの現場をめぐった2日間、最後に旅の感想をお二人に聞いてみました。
「訪れるまで、冬の越前はグレーな空の印象でした。でも実際にまちをめぐると、ものづくりの技術やそれに携わる人のあたたかさを感じ、素晴らしい時間を過ごすことができました。今回行けなかった場所にもまた行ってみたい」とサラさん。
「越前にすばらしいものづくりがあることは知っていたけど、実際に工房を見学することで『本当に実在したのね!』と嬉しくなりました。もしかすると大人数より少人数で訪れた方が、より人と濃いふれあいができるので、特別な思い出ができるかもしれませんね」とキットさんも続けます。
日本文化に精通するキットさん、サラさんにとっても、今回の旅は越前市の魅力を十二分に感じるひとときだったよう。
「また越前に会いに来たい人がたくさんいるわ」そう言うキットさんの言葉が印象的でした。
文:石原藍
Text/Ai Ishihara