知る
山田兄弟製紙の創業は1882年(明治15年)、養蚕業から製紙業(奉書漉き)を始めた。1960年(昭和35年)に法人化された当時は、兄が紙を漉き、弟が県内外への営業に出向く社名通りの一貫生産企業で、さらに和紙に透かしを入れた株券や債券、証券などを高い技術を要する製造も手がけており知名度も向上。業界全体も好景気だった。
しかし、その後は周知のように高度成長期、バブル崩壊、ペーパーレス化、阪神淡路大震災、福井豪雨、東日本大震災、環境問題、コロナ感染拡大などいくつも潮目が変わり、トレンドが起こり、今なお製紙業界を揺らし続けている。そんな中、同社を切り盛りするのは4代目の山田晃裕・京代さん夫妻である。
「潮目を目の当たりにするたびに悩みながら、やれるところまでやってみようと、乗り切っている感じです」
一緒に乗り切っているのは、家族や社員である。看板商品のヨシ紙も、潮目が変わるまでの先行き不透明な期間を共にした。ヨシ紙は河川敷に生えるヨシをパルプに加工したヨシパルプを30%~100%使用した非木材紙認定の紙。木を使用せず木材伐採防止につながり環境にも優しい。
「2000年(平成12年)頃、ヨシ紙の生産依頼があり作ったものの、反応はいまひとつ。5年ほどは売れませんでした。でもエコブームで潮目が変わり、ヨシやヨシ紙の認知度が向上し、多分野からの注文が増加。ヨシ紙生産は、水質浄化作用のあるヨシ自体の環境保全にも直結する大変な作業ですが、製品を作り続けることに意義があると思っています」
潮目が変わるのを待つ間も、多方面にアンテナを張る。既存品にユーザーの声を取り入れ、新しい機能性を加える。あるいは、在庫紙をブラッシュアップしたり、端紙を新商品に再構成するなどアイデアを練り、実践する。主導は商品開発担当の京代さんで、和紙の文房具ブランド 久兵衛の商品となって発信されている。
「コロナ禍でいち早く着手したのがマスクケースです。お客様の“もう少し○○だといいなぁ”の声にすぐ対応できるのも弊社の強み。お客様の声は驚きや発見があって、勉強になりますね」
かつて兄と弟が良いバランスであったように、現在は夫婦で時代に即した製品と商品をバランスよく作りながら、良好な経営を続ける。
時流に逆らわず、和紙の可能性を信じて製品と商品を作り続ける山田さん夫妻。今も、バイオ原料は使えるか、異業種・異分野とのコラボレーションはどうか、和紙とはまったく別のモノができるかも…などと二人で発想を広げながら話す様子は仲睦まじく、楽しそうだ。この先また潮目が訪れたとしてもしなやかに変化し、次の時代へ続いていくことを期待せずにはいられない。
文:笹島美由起
Text / Miyuki Sasajima