世界のトップシェフも驚愕した、4年待ちのステーキナイフ
手に入るまで4年待ちというステーキナイフが、越前市で生まれたのをご存知だろうか。
刃先を入れると、食材の抵抗を感じることなくスルッと肉が切れ、なめらかで美しい断面が現れるのだ。
今までに味わったことのない切れ味の良さに、世界的な国際料理コンクールでは、そのナイフを使った審査員の半数以上が持ち帰ってしまったそうだ。
そんなエピソードが瞬く間に広まり、ある会社が世界中から注目を集めている。そのステーキナイフ誕生のストーリーをご紹介しよう。
国内から海外へ活路を見出す
越前打刃物の産地、福井県越前市に本社を持つ「龍泉刃物」は、包丁やナイフ、カトラリーを手がける刃物メーカー。研磨職人である創業者の増谷等(ますたにひとし)さんが一貫したものづくりを目指し、昭和28年に創業した。2代目の増谷浩(ますたにひろし)さんの時代には、国内の刃物産地として初となる「伝統的工芸品」の指定を受けるなど、越前打刃物の認知拡大に大きく貢献した。
そして現在、社長を務めるのは、3代目の増谷浩司(ますたにこうじ)さん。ステーキナイフは彼によって考案されたが、ここまで必ずしも順風満帆な道のりではなかった。
「社長になった頃はリーマンショックの影響から、商品をつくっても売れず、国内での販売に限界を感じていました。そこで、2010年にドイツの展示会アンビエンテに出展することにしたんです。ブースの場所も会場の隅の方からのスタートでしたが、1日100社くらいのバイヤーに接客をしていましたね」
海外にまったくツテのないなか、積極的に展示会に出展していた増谷さん。越前打刃物の良さを理解してくれる人は少しずつ増えていったものの、具体的な取引につながることは少なかった。労力の割に実績が伴わないジレンマを感じていたそんな矢先、龍泉刃物の未来を変える、あるシェフと出会う。
求めるのは切れ味と安全性を兼ね備えたナイフ
それは「星のや東京」料理長の浜田統之(はまだのりゆき)さん。当時総料理長を務めていた「星野リゾート 軽井沢ホテルブレストンコート」に新しくオープンするメインダイニングで、“最高の切れ味を持つステーキナイフ”を使いたいと増谷さんに依頼したのだ。
龍泉刃物の技術であれば、切れ味の良さはお手の物。
しかし、出来上がったナイフのサンプルに対して、浜田シェフからはNGが出されてしまう。それは、「肉はよく切れるが、切れ味が良すぎて口のなかも傷つけてしまう」という予想外の反応だった。
同級生との運命的な再会
切れ味と安全性、二つの相反する条件を両立させるにはどうすればいいのだろうか。すっかり暗礁に乗り上げていた増谷さんだったが、強力な助っ人が現れる。
増谷さんの小中学校時代の同級生であり、東京でプロダクトデザインを手がける渡辺弘明さんだ。
偶然にも35年ぶりの再会を果たし、何気なくステーキナイフの相談をしてみたところ、制作をサポートしてくれることになったのだ。
渡辺さんがデザインしたのは、右利き、左利きの人も使いやすい非対称な形状。ナイフの先端を尖らせず、曲線にすることで皿や口の中を傷つけない安全性も実現した。
さらに増谷さんは再度素材を検討し、柔らかい鋼と硬い鋼を何層にも重ねることを考案。異素材同士がヤスリのような構造となり、食材を当てるだけでは切れず、しかし軽く引けばなめらかに切れる一本が誕生したのだ。
当時のことを増谷さんはこう振り返る。
「これまでの刃物は昔からある形状を踏襲していましたが、時代とともにデザインも変えていく必要があることを実感しました。素材だけではカバーできない使い勝手をデザインで解決していくのは、これからのものづくりにおいて大きな気づきとなりましたね」
世界中が認めた越前のものづくり
約2年の歳月をかけて完成した、切れ味と安全性を兼ね備えた最高のステーキナイフ。
当初の目標であったレストランのオープンには間に合わなかったが、浜田シェフが日本代表として出場する「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」で、龍泉刃物のステーキナイフが日本チーム専用のナイフとして採用されることになった。
コンクールは日本人として過去最高位の3位という結果に。さらに龍泉刃物のステーキナイフを使用した24カ国からなる審査員の約半数が、その切れ味に感動し、ナイフを持ち帰るという前代未聞の出来事が起こったのだ。
この日を境に龍泉刃物の名前は一躍世界中で知られ、現在では日本をはじめ世界中のレストランで愛用されている。1ヶ月につくることのできるステーキナイフは150本と限界があるため、注文は最大で約4年待ちになることもあったそうだ。
「生産効率を良くしたいという思いはもちろんあります。でも、越前打刃物は刀鍛冶が鋼の塊を伸ばして折りたたんでを手作業で繰り返してこそできるもの。そこを怠らずこれからも世界中に自信を持ってお届けできるものづくりに取り組んでいきたいですね」
文:石原藍
Text / Ai Ishihara