店主のこだわりが光る「越前おろしそば」の奥深い世界へようこそ
蕎麦といえば、日本人のソウルフードの一つだ。
日本全国にはさまざまな蕎麦があるが、越前市をはじめ、福井県嶺北地方では冷たい蕎麦にたっぷりの大根おろしと削り節、刻みネギをのせて食べる「越前おろしそば」が有名である。
シンプルな料理ではあるが、そのこだわりをたどっていくと実は奥が深い。なぜ福井は蕎麦どころになったのか。越前おろしそばが生まれたきっかけや美味しさの秘密をご紹介しよう。
福井の蕎麦は戦での非常食から生まれた
越前市では10月後半になると、畑に白くかわいらしい花が一面に咲く様子を見ることができる。蕎麦の花だ。
全国各地で栽培される蕎麦には、その土地で昔から受け継がれてきた「在来種」と人工交配によってつくられた「改良品種」がある。福井で栽培しているのは、主に「在来種」。栽培が難しく収穫量も不安定だが、小粒で身がつまっている蕎麦の実からつくられる蕎麦は香り高く麺のコシも強い。
福井の蕎麦の起源は戦国時代。一乗谷朝倉孝景が城下の人々に戦や災害に備える救荒食として、米よりも栄養が豊富で収穫期間が短い蕎麦の栽培を奨励したのがはじまりだといわれている。
その頃に食べていたのは今のような麺状の「そばきり」ではなく、蕎麦の実を石臼で挽き、熱湯をいれて捏ねた「そばがき」が主流の食べ方だった。
▲蕎麦粉を練ってつくる「そばがき」
冷たい蕎麦に大根おろしと削り節をのせて食べる「越前おろしそば」のスタイルが生まれたのは、今から400年以上前のこと。1601(慶長6)年に府中(現在の越前市)の領主としてやってきた本多富正(ほんだ とみまさ)が、京都・伏見から蕎麦職人の金子権左衛門(かねこ ごんざえもん)をつれてきたのだ。
さらに健康面でもプラスになるよう、城下の医者と相談し、大根おろしと一緒に食べる蕎麦を考案したのが「越前おろしそば」の由来だといわれている。
蕎麦といえば、動脈硬化や高血圧などに効果がある「ルチン」が多く含まれ、テレビ番組などで取り上げられたことも。さらに消化に良い大根おろしと一緒に食べることを400年以上前に考えついたとは、昔の人の知恵には驚かされる。
越前おろしそばにはさまざまなエピソードが残っているが、なかでも有名なのは、『越前おろしそば』の名前の由来となった話だろう。
1947(昭和22)年、武生に訪れおろしそばを召し上がった昭和天皇がおかわりを所望され、御所に戻ってからも蕎麦の話がでるたびに「あの越前のそばは……」と懐かしがったことから「越前そば」の呼び名が広まったと言われている。
自家製粉にこだわる十割蕎麦
JR武生駅から車で5分ほどの場所にある「そば蔵 谷川」は、県内外から多くのファンが訪れる銘店である。
▲入口の前には雰囲気のある庭園が広がる
店主の谷川正美さんは30歳の時に蕎麦打ちをはじめ、47歳の時にお店をオープンした。
▲谷川さん
越前市に限らず、福井県民は自宅で蕎麦を打つ人が多い。もともと何でも自分でつくることが好きだった谷川さんも、会社員のかたわら蕎麦打ちをたしなんでいた。仕事で全国各地に出張にいく時は、なんと営業車に蕎麦打ちの道具を積み込み、お客さんに振る舞ったこともあったそうだ。
しかし45歳の頃、県外のとある蕎麦屋で自家製粉十割蕎麦と出会い、衝撃を受ける。
「蕎麦粉だけで麺を打つとぼそぼそと切れてしまうから、当時はだいたいどこの店もつなぎ(小麦粉)をまぜた二八蕎麦が多かったんだよ。でも、その時食べた十割蕎麦は蕎麦粉だけなのに、ぼそぼそしないし、透きとおるような麺で歯応えもあり蕎麦の香りも高い。こういう蕎麦をつくりたいなと思ったね」
美味しさの秘密を探ろうと何軒か自家製粉十割蕎麦のお店を食べ歩いているなかで、谷川さんはつなぎをいれなくてももちっとした食感の蕎麦をつくる秘訣は、蕎麦粉の鮮度が大きく左右することを知る。
鮮度のよい蕎麦粉でつくるには、1年分の玄蕎麦を低温貯蔵真空パックして、その日に使う量だけ自家製粉するのが一番。こうして「そば蔵 谷川」では、毎日自家製粉したそば粉による十割蕎麦を使ったおろしそばが看板メニューとなった。
▲おろしそば(750円・税込)。削りたての鰹節の香りが食欲をそそる
「そば蔵 谷川」のおろしそばは少し太めで、噛むたびに蕎麦の香りが広がっていく。蕎麦にまとった大根おろしは最初にツンとした辛みが鼻に抜けるものの、次第につゆや削り節とともに深い旨みへと変わっていくのだ。
一年中、いつでも最高の味を届けるために
「そば蔵 谷川」で使うのは、地元福井県の丸岡産の玄蕎麦(殻付きの蕎麦の実)。これを石臼を使って製粉する。石臼だと摩擦熱を持ちにくいため、蕎麦の香りや味が損なわれない。
蕎麦といえば、色の黒いものから白いものまでさまざまだが、越前のそばは総じて色が黒い。蕎麦の実はもともと黒い殻に包まれているが、越前おろしそばでは、この黒い殻まで挽き込むことで、色が黒く、香りの高い蕎麦になるのだ。
「蕎麦がとれるのは毎年11月頃。ここから次の年までの1年間、いつでも美味しい味を提供できるよう、蕎麦の実を新鮮なままで低温貯蔵真空パックし酸化を防ぐのが鍵なんだよ」
こうすることで蕎麦が冬眠したような状態になり、年中新そばのような風味が楽しめるのだ。
さらにおろしそばの決め手となる大根は、種類によって味が変化するため、3種類の辛味の異なる大根を組み合わせ、一年を通して一定の辛み・旨みを感じられるように仕上げている。
「一つひとつのこだわりを話し出すとキリがない」と笑う谷川さん。蕎麦、つゆ、大根、鰹節……一つひとつの素材がシンプルだからこそ、つくる人の信念がそのまま現れる料理なのだろう。
越前市では多くの蕎麦屋がある。店ごとに異なる奥深い味わいを楽しんでみると、あなたも「越前おろしそば」の魅力に引き込まれるに違いない。
文:石原藍
Text / Ai Ishihara