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仁和3(887)年、越前に流された中納言紀友仲が無実の罪を晴らすために、この地を祈願の地と定めて祈願を続けたところ、無事許されて都に帰ることができ、感謝して社殿を建てたのが由来といわれています。国の重要文化財である拝殿は北陸地方唯一を誇る大きさで、昭和56年の修復によって創建当時の入母屋造、こけら葺き、四方吹放ちの形になりました。境内には本殿のほかに6つの社があり、なかでも疱瘡の神様を祀る寿王神社が有名です。南北朝時代に鋳造された梵鐘をはじめ、文化財も多く、見どころの多い神社となっています。